史蹟 新撰組殉難地

23年11月17日写楽             
・・・   ・  ・・・・史蹟 新撰組殉難地
         ※会津親善大使におられます・・・歌手・俳優の 岸 浩太郎さん。      
西暦1868年慶応494日、山口次郎こと斉藤一ら新撰組隊士、数十名が宿陣守備されていた如来堂になります・・・当時、攻め寄る敵・・・新政府軍に襲撃を受け殆ど全滅状態・・・中に、数名が乱戦のなかを負傷を受けながらも脱出し生存されていた者もあったとか・・・。 この会津で隊長として新撰組を率いた斉藤一は後に、会津藩が降状開城後会津藩士とともに斗南藩に移り大生の世まで生きぬかれたといわれます。

※史蹟新撰組殉難地より北側の位置、直線にして300m.ほど離れた地に当時の城主・上杉景勝公自ら西暦1600年慶長5年のころに徳川家に隠れてしそかに築城されていた・・・「神指城跡地」がございます。しかし、それも完成にはいたらず。・・・当時、上杉景勝公は120万石に御座いました。
参考まで:米の値段✕?万石=金成り・・・