23年9月12日・動画写楽                 
..................................会津白虎隊士中二番隊・伊東悌次郎
2007
16日、7日・・・テレビ朝日2007:新春スペシャルドラマ「白虎隊」東映とテレビ朝日の共同制作された・・・「白虎隊」士中二番隊・伊東悌次郎 (いとうていじろう)役を、歌手・俳優である岸浩太郎さんが演じられた。
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※伊東悌次郎の住まいは、会津若松・・・米代四之丁に住まわれていた。
伊東悌次郎の父方は、(本名いとうすけより・いとうさだゆう)と呼ばれる会津藩大目付役、百三十石 (会津藩での位置付けは、家老・若年寄・奉行に継ぐ重職中、会津藩家老:西郷頼母の候補役の位置にあった役職。にある伊東左太夫・伊東佑順が父になります。
母方と言うと、会津松平家重視の名門・・・家老職に就く事の出来る名家、九つある中の一家、二千二百石を与えられる内藤信順・・・この内藤家を本家とし分家にある武川家、三百石・武川頭軒の姉にある方が・・・伊東悌次郎の母、「すみこ」になります。
また悌次郎の住んでおりました米代四之丁には、会津藩士:砲術師範の山本権八の屋敷がありその山本権八の娘、八重子から白虎隊:士中二番隊に配属となった時に火縄銃の扱い方を習い・・・その時、垂れ下がる前髪が邪魔になり八重子の見ている前で切り落としたと言うエピソードとして話が残っております。
(※伊東悌次郎の墓は、飯盛山のほかに、若松市・天寧寺に父・伊東佑順の墓所近くに頭髪を埋められた墓所もあるようですので、時期をみて行ってこようと思います。・・・引き続き、912日月曜日写楽して参りましたものを載せて御座いますので、これを先にご覧あれ・・・。)


会津戊辰戦争、慶応4710日・・・士中二番隊は、容保公と共に滝沢本陣へ向かい、すでに「十六橋」を攻撃し攻め寄る敵、西軍の攻撃に応戦の体制をとり・・・戸ノ口原まで進み拠り待ち伏せ、応戦を・・・しかし、敵の攻めにこれ敵わずその西軍の威勢に後退しながら隙を見ては攻撃を繰り返すが、力及ばず・・・滝沢本陣へ引き返すことになるが、この交戦中に伊東悌次郎は戦死、15歳。・・・残された白虎隊士中二番隊の十数名は、戸ノ口原のどこをどう通ってきたか道に迷い歩いていると猪苗代湖から流れ来る、戸ノ口堰疎水口・・・飯盛山へ続く洞窟へと辿り着きます。
その洞窟を通り抜け、飯盛山で煙火に包まれて見えたお城を見て「会津が負けた」と思い込み白虎隊士中二番隊十数名が、自刀してしまう。

※飯盛山で自刀されたのは、士中二番隊16名。・・・後に石山虎之助も16名と同じ行動をとっていた事が明らかとなって、後に合祀されてあるとか・・・。
戸ノ口原古戦場で周辺で戦死された、伊東悌次郎・津田捨蔵・池上新太郎の名も遺体は飯盛山に合祀され、また明治23年回忌から白虎隊士中二番隊19名と改められ、現在飯盛山に墓所があるものに御座います。