・・・TP 戻る・・・・・・・2011年10月10日写楽・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                    ・
伝佐原義連の墓
所在地
: 耶麻熱塩加納村大字宮川字墓の西
ご紹介します佐原義連の墓は、芦名家会津蘆名氏の祖にあり三浦大介義明の子に御座います。・・・その昔、瀬朝より会津の地を与えら領主となりこの会津の地で永眠されて御座います。  
寛文
8年西暦1668年の頃、保科正之公の時代でずか、正之公が山崎閣斉に命じて佐原義連の史実を確かめさせた。・・・元禄8年西暦1695年松平正容公がその志(こころざし)を継いで、佐原義連碑をその近くに建て置かれたものも御座います。
載せて御座います動画をご覧頂きましても見て分かりますが、宝篋印塔
2.3メートル南向き塔には四方仏の種子が彫られているもの。また、塔の周りにある五輪の塔10基は家臣の墓となります。




※「義連の歿年は明らかでなく、当初の墓所も不明であるが、この塔は蘆名氏に継いで保科・松平氏も保護の手をのべた歴史的経緯があり、宝篋印塔としても本県に遺存するものの中ではすぐれているところから、史跡として高い価値がある。」と案内説明に記されて御座いました。