真言宗豊山派日輪寺
関山観音

23年12月1日写楽・・・・・・・・・・・   
会津33観音24番礼所 関山観音・・・十一面観音菩薩
・・                 祭礼
: 815・・・・・・・               
所在地: 会津美里町字関山1032

※御詠歌・・・散る花を止むる氷玉の 関の山 雲降り登る道は一筋          ちるはなを とむるひだまの せきのやま くもおりのぼる みちはひとすじ・・・
関山観音・・・お堂には、徳一大師作と伝えられる十一面観世音像が安置されて御座います・・・この観音像は、西暦1641年・寛永18年に関山の集落に合併した上小松村の護佛にあるもので・・・合併後の西暦1790年・寛政2年に集落を見下ろす山複を整地し、五十八段の石段をつくり移建されたものだと記されて御座いました。・・・また「一生に一度だけの 願いは叶える」とも言われ地方から訪れて来る参拝者も多い・・・。
会津本郷焼きで知られる本郷町より南へ、約5`程離れたこの地は、旧下野街道沿いの山ふもと関山に、
第二十四番・関山観音
(十一面観世音)日輪寺が御座います。 また、この他に数多くの神仏が存在し多様な信仰が残っているとか。
この地の資源として、知られる八神沢沼に生息する森青蛙 
(森の宝石と呼ばれいる。) などが生息しているようで珍しいもの。
西暦1641年・永禄18年に上小松村と合併となり現在の集落形態にあるものですが、縄文時代後期ごろから遠い祖先が各方面との交流を保ちながらこの集落の基盤造りをしていたことが、塩原遺跡の土器石器などから知られているとあり、また街道の道幅も広く両側の家並みは正に旧日光街道・下野街道と言われていた会津西街道の宿場町の形を現在も残しているもの、その風景も見て楽しめます。
又この地は、
慶応四年(〜西暦1868年・明治元年)の会津戦争、戊辰戦争で関山・栃沢攻防の激戦の舞台となり、五十余りの集落全体が犠牲となり兵火よって焼失してある地で知られており、この集落南側には、会津藩士・野村梯之助らを弔った戦死者四十名の墓が御座います。


慶応4年・戊辰戦、戦死者四十名の墓所」