会津三十三観音戻る    ・・・      ................  ・・・・・・・・・・・・・・
天台宗高倉山・・・会津三十三観音23番礼所「高倉観音」十一面観音菩薩
                          祭礼・・・旧815
所在地会津美里町字高倉691

※御詠歌 高倉は 宝を積し山なれば 人の願いも 満つる高倉
この観音堂の云われは、西暦1127年大治2年〜西暦1192年健久3年までの頃の第77代目天皇・後白河天皇(ごしらかわてんのう)の第 3皇子、「高倉宮以仁王(たかくらみやもちひとおう)」・・・邸宅が三条高倉にあったと言う事で、高倉宮以仁王と呼ばれていたと言い伝えられて御座います。・・・特に知られる事柄では、源氏へ平家と一戦を挙兵を上げ促した・・・「以仁王の令旨」が知られる。



          
ここ会津三十三観音23番礼所「高倉観音」は、高倉宮以仁王が平民追討の名を受け兵を出した時、守護仏にある十一面観音菩薩像をこの観音堂に安置されたことから、この観音堂を高倉観音と呼ばれるようになったもの。参考・・・高倉宮以仁王御墳墓考
(※後白河天皇の第三皇子にありますが、平家物語では兄の守覚法親王が仏門に入ったため第二皇子とされているとか・・・)